特別食堂のマドンナ 心の死滅
入谷なってるハウス フィラデルフィア近況 2004年春
ニューオーリンズ:Gas Tank Orchestra クリーブランド:Speak in Tongues
ニューヨーク:Amica Bunker バーミンガム
Kathy Change Sean Meehan
Misha Feigin Amy Denio
Leonardson-Finkelman Duo すいか
ボブ・ディラン: No Direction Home


ニューオーリンズ:Gas Tank Orchestra

牧原トシ

ニューオリンズに本拠を置く Gas Tank Orchestra はその名のごとく、自動車のガソリンタンクで作った様々な楽器を使って即興演奏をやるグループで、僕は今回彼らがツアーをやるまでその存在すら知らなかった団体なのですが、ニューオリンズ界隈では結構有名で、街中のクラブ、画廊、珈琲ショップといった場所で頻繁に演奏活動を続けてきているようです。メンバーは今までいろいろ変わってきたようですが、現時点では Greg Wildes, Dana Cross, Kathleen Kraus, Bunny Polenco, Matthew Rosenbeck の5人で活動しています。リーダーは Wildes さんで、彼はプロジェクトの総仕掛人・・という感じです。基本的に彼らの音楽の特徴は2つの面から確認することができます。すなわち、楽器の構造、そして演奏方法および演奏における姿勢です。

ガスタンクの様々な楽器はすべて Gregory Wildes が作ったもので、本当にユニークな音・存在感がありました。楽器について簡単に説明しますと、「管」「打」「弦」の3種類に別れます。

まず「管」ですが、3つの楽器があって、それぞれに違ったマウスピースをつけていました。まず、ガスタンクに竹筒(笛状に穴があいている)をつないだものをクラリネットのマウスピースで吹く、まあ言ってみれば「ガスタンク クラリネット」。次に、パイプ(管)をつないで、ディジリドゥー的な奏法で吹く「ガスタンク ディジリドゥー」、そしてチューブの先にトロンボーンのマウスピースをくっつけた「ガスタンク トロンボーン」(これらの名前は僕がかってにつけたものですが・・)の3つです。これらの楽器の演奏方法、およびコンセプトにおいていくつか気がついたことを書いてみます。

まず「クラリネット」および「ディジリドゥー」に関してですが、音・奏法は普通のクラリネットやディジリドゥーと似ています。ただ、ガスタンクが大変変わった面白い共鳴および倍音効果を出しており、全体的にエコーのかかった良く響く大変美しいミステリアスな音でした。最初の曲で Kathleen Kraus が「クラリネット」のメロディー / ソロを吹いていましたが、これがなんというかユーモラスな効果を作り出していました。あとで追って書きますが、彼らの演奏にはなんというか南部的なあたたかさ、明かるさ、楽しさ・・といった雰囲気があり、聴いている方もついほほえんでしまうようなことがよくあります。これはおそらくCDで音を聴いただけでは絶対に伝わってこない雰囲気(実際CDで音だけ聴くととても「暗い」印象をうける)だと思います。これはあとで書く彼らの音楽に対する「姿勢」と直接関係のあることなのでここでは詳しい説明は控えますが、「これなら(こういうやりかたなら)やっていても疲れないだろうなあ・・」なんて思ってしまいました。まあ音楽のスタイルや方向性はまったく違うけど、なにか「ちんどんや」の底抜けに開かれた音楽に通じる不思議な presence がこの音楽にはあるのです。「トロンボーン」の方は、マウスピースをゴムのチューブでガスタンクにつないでおり、したがって音は思ったより小さく音程の幅にも限界があるようでした。ただ、こちらもガスタンクの共鳴が豊かなエコーおよび倍音効果を出していました。

次に「打」ですが、今回彼らは2つ楽器を持って来ていました。ひとつはガスタンクの縁を歯状に切った鍵盤楽器のような「ガスタンク鉄琴」。そしてもうひとつは、いろいろな長さの平たい金属棒をガスタンクにくっつけた、「ガスタンク親指ピアノ」とでも呼べそうな楽器です。面白いのは、これらガスタンク楽器のどこをたたいても面白い音がする・・という強みがあることで、かれらはそういった様々な音を使うことで、大変豊かな soundscape をつくりあげていました。「鉄琴」はどちらかというと Steel Drum をがさつにしたような音ですが、大きさの違う「歯」群がマイクロトーナルな響き・メロディーを作っていました。「親指ピアノ」は本当に美しい音で、アンサンブルのハーモニーの中心的役割をになっていた様です。打楽器の演奏方法はそれぞれ「ブラシ・ Mallet でたたく」、および「指ではじく」・・というものでしたが、ブラシでたたく pulse が快いリズムをつくっていました。

楽器のあらゆる場所をたたいたりこすったりしてていろいろ変わった音が出せる・・というのはすばらしいです。サンバで使う Reco Reco (ヘコヘコ)のように楽器の構造の「ありかた」、楽器の「作られかた」が一般の西洋楽器と全然ちがう。つまり彼らのガスタンク楽器・音楽は、作曲によってあらかじめ決定された音(楽)をもっとも効果的かつ能率良く再現することを念頭において構造的発展をとげてきた西洋楽器の、いわゆる専門化され単一化された「音(楽)カルマ」とは正反対の状況において成立しており、そういった意味で「絶対的に」開放され自由な「楽しさ」がこの音楽には満ち溢れている・・と僕は感じたんだと思います。

これは いわゆる Free Improvisation にしてもそうなんですが、一般の西洋楽器、そしてそれに伴なう演奏技術という点では、ある楽器における「超技術」(Extended Technique) などの追及というのも、結局その楽器の音楽的・構造的カルマからの離脱、跳躍、開放・・といったものを求める「情熱」に押されている部分があるのだろうと思うんです。これは罠につかまりホイホイともがく 死に損ないのごきぶりのような状況になってしまう場合もあるのですが、それとはまったく違う状況に開放される場合もあります。そういった開放された意味での Free Improv は, ことばの(意味論的)限界を「ことば自体」の神秘的力・表現(超意味性)によって越えようとする詩人達の様に、カルマの肯定・否定の二元性から一挙に抜け落ちるこころみであり、そういった精神性に僕なども魅力を感じるところがあるのだと思います。反面このプロセスはへたをすると(専門的な)「苦しい修行」、悪く言えば「自己中心的悪あがき」(ごきぶりホイホイ的状況)に終始する場合もあって、そういう状況での「苦しそう〜」で一生懸命な演奏は観ている方にとってもしんどいです。

とにかく、そういった Free Improvisation の「超」技術的、「相」対的アプローチに対して、Gas Tank Orchestra のそれは「脱」技術的、「絶」対的アプローチである・・と言えるかもしれません。彼らのそれは全的なありかたであり、方向性よりも広がりをもとめ、結果・目的よりも行程をたのしむ流れの旅人のような在り方であり、そういった意味で僕はかれらの音楽・演奏は「楽しさ」の満ち溢れるものだ・・と書いたんです。ただ、あくまでこれはライブを観た限りで感じたことで、一番最初CDの音のみを聴いたときには、だいぶ違ったイメージがありました。CDの音は静かで、暗い感じ。あまり「楽しさ」などという雰囲気はつたわって来ませんでした。今思うに、これは先に書いた即興演奏家の(音楽的カルマからの跳躍を求める)「情熱」がこのグループにおいては追及されていない、少なくとも主要目的として活動の中心に置かれてはいない・・という状況によるのではないかと思います。使う楽器や、演奏姿勢に違いはありますが、小杉武久さんのタージマハール旅行団なんかも、この系統に入る数少ないグループのひとつだと思います。

さて、「弦」ですが、これは「ハープ / ダルシマー系」と「一弦ベース」の二つがありました。前者の方は、チューニングできるものと出来ないものとあり、演奏方法は弦をはじく、ハンマーダルシマーの様に細いスティックでたたく、また弓でひくこともしていました。一弦ベースは、なんというかブルーグラスのビヤ樽に棒をたてて、ゴムを張って弾く一弦ベースと要領は同じで、ビヤ樽の変わりにガソリンタンク、ゴムの変わりに steel wire を使っていました。演奏方法は、ビリンバウの様に棒でたたいたり、指ではじいたりしていました。どちらも非平均率的な調律が、打楽器や管楽器と合間って面白いハーモニーをつくっていました。

さて、彼らの音楽における楽器の使い方、そしてアンサンブルの編成の仕方についてもっとも注目できる点は、楽器や演奏家が専門化されていないことです。つまり楽器群は「管」「打」「弦」ともにガスタンクという母体からつくられており、そいった意味で構造的、演奏法的、音響的な共通点をもっている。西洋楽器の様にたとえば管と弦がまったく違うファミリーとして分別され、それぞれの分野において「専門家」が鬼のように腕をみがく・・という状況とは反対に、ここでは楽器は取り替えのきくもので、専門化はされていない。表面的には、「管」「打」「弦」と分別することはできても、それはあくまで「こちらの目に写った」相違性であり、本当はそんな相違性などまるで実体の無い幻に過ぎない・・ということです。「管」「打」「弦」のありかたは、構造的、西洋音楽史的な基準に基づく「分別」ではなく、ガスタンクという実体的よりどころからあらわれてくる全的な「広がり」であり、精神性です。それは真の意味での「soundscape」(音の広がり)であり、それは間髪を入れず彼らの精神的広がりであるわけです。

この「広がり」の中にいて、出てくる音楽を楽しむ彼らの姿勢は、たとえば Jazz や一般の Free Improvisation のような個人的特殊性、つまり「分別され専門化された音楽的状況における個人の特殊(演奏)技術」を追及する在り方とも、個人性を抹殺し階級性を主張することで成り立つ、西洋オーケストラのような在り方とも違う共存的な在り方であり、大変注目できると思います。これはつまり個人の才能・技術・特殊性を前面に出すソリストの態度でも、グループのアイデンティティーを前面に出すアンサンブル忠誠の態度でもなく、自然と音楽が「たちあらわれてくる」状態。「音楽を演奏している・・」というよりも「演奏が音楽をしている」状態、つまりは「音楽に演奏されている」状態であり、その音の広がりの中に身をおいてゆっくりと音を「楽しむ」ことができるのが、実際のメンバーの在り方となっているようです。

彼らは、曲によって楽器をとっかえひっかえします。それぞれの演奏者がすべての楽器を担当する。中華料理のレストランで、いろいろなメニューをみんなでとっかえひっかえ食べているような「楽しさ」がそこにはあります。パターンとしては、まず曲の演奏前にゆっくりと舞台上を「うろついて」自分の使う楽器を決める。そして演奏中はまず場所替えはしない。演奏が終わるとまたうろついて次の楽器を決める・・というものですが、この曲間の「うろつき」は自然で、やさしい感じでした。真ん中に大きな水のボトルが一本置いてあって、みんながそこかららっぱ飲みしている・・そんなグループです。音楽はアンビエントで広がりをもち、リズム感の溢れるものが多かったです。

・・というわけで長くなってしまいましたが、Gas Tank Orchestra の報告でした。彼らのホームページには楽器の写真やオーディオファイルなどもありますので、覗いてみる価値十分にあります。CDは Olestra vs. Viagra 2Vols が在ります。本当にこういうグループにであうと嬉しくなってしまいます。