特別食堂のマドンナ牧原トシ |
| 東京で僕が一番好きなレストランの一つに、日本橋の某有名デパートの特別食堂がある。僕はこのレストランで食事をするのが本当に好きだ。ここは値段は高い。ちょっと軽く昼食をとっただけでも一人4000円ぐらいは見ないといけない場所だ。だがここは日本橋という東京のど真ん中にありながら、真にリラックスして美味しい食事を味わえる環境を提供している。実際料理やサービスには文句のつけようが無い。癒し系の薄い緑で統一された落ち着いた店内。贅沢な広いスペース。大きなテーブルと本当に座りごこちの良い椅子。控えめにおかれたテーブルの花。明るすぎず、暗すぎない照明。テーブルの並べ方や食器などすべての点でデザインやスタイルが落ち着いていて、心からリラックスできる空間を作り出しているのである。 |
| 実はそのレストランには僕が一目置いている一人の女性従業員がいる。彼女の名前は知らないが、この十数年僕が日本に帰国しこの食堂に来ると彼女を必ず見かけるのだ。そしてそこで彼女の態度に接する度に僕はいつも泣くほど感激するのである。昔はウエイトレスをしていた彼女も今では出世して、客を入り口で出迎え、若いウエイトレス達を管理し、テーブルの状況をモニターする重役についている。 |
| 彼女は入り口の横に立ち、入ってくる客に深々とお辞儀をし「いらっしゃいませ」と言う。それは日本ではどこにでもある状況だ。だが彼女の言う「いらっしゃいませ」は普通の「いらっしゃいませ」ではない。それは100%心のこもった、言うなれば神的な「いらっしゃいませ」なのだ。毎日数え切れないほど日本中で言われるであろう「いらっしゃいませ」の中で、彼女の言う「いらっしゃいませ」はその精神的なレベルにおいて傑出している。彼女が「いらっしゃいませ」と言うとき、僕には彼女がまるで自分を犠牲にして人々を助け続ける菩薩のように見えるのだ。僕は彼女の態度に接して事実泣きそうになったことが何回かある。 |
| 彼女の言う「いらっしゃいませ」は世界を動かす原動力である。彼女が「いらっしゃいませ」と言い続けるからこそ、世界は幸福な未来に向けて容易ではない道を歩み続けることができるのだ。それほどに彼女の「いらっしゃいませ」には神的なパワーがあるのである。彼女が「いらっしゃいませ」を言わなくなったらこのデパートが、いや世界がつぶれてしまうのではないか・・そんな不条理な思いさえ浮かんでくるほど、彼女の存在は僕にとって濃いものでありパワフルなものなのだ。 |
| このデパートは彼女を大切にするべきである。彼女はこの特別食堂で何百万人という人々に向かって神的な「いらっしゃいませ」を言い続け、人々を幸福にし、安心させ、世界をポジティブな方向に動かし続けてきたのだ。彼女が「いらっしゃいませ」と言い、深々と頭を下げる度に世界は新しく生まれ変わる。そんなパワーを彼女はその存在に秘めている。 |
| 僕はアメリカ在住なので、この特別食堂にはせいぜい一年に一回来る程度である。訪れるときは僕はいつも彼女のことなど忘れていて、ポワーッとした顔つきでこのレストランに入ってくる。すると、そこに彼女がいて神的な「いらっしゃいませ」を言い、僕に向かって深々と頭を下げる。その瞬間、僕は彼女の存在を実存的に思い出すのだ。僕は彼女に接し、心から感動する。本当なら僕はそこに直ちに土下座をして彼女に「ありがとうございます」と言い頭を地面に擦りつけて泣くべきなのだ。彼女は僕にとってマドンナである。 |
| 僕にとっては、そうして彼女に接するだけでも、この食堂に来る価値があるのかもしれない。それは何か人生の糧としての食事・・という感じなのだ。あんな風に僕も音楽が出来たら良いのになあ・・などとトンチンカンな事を考える今日この頃である。 |
| 2004年5月 |