特別食堂のマドンナ 心の死滅
入谷なってるハウス フィラデルフィア近況 2004年春
ニューオーリンズ:Gas Tank Orchestra クリーブランド:Speak in Tongues
ニューヨーク:Amica Bunker バーミンガム
Kathy Change Sean Meehan
Misha Feigin Amy Denio
Leonardson-Finkelman Duo すいか
ボブ・ディラン: No Direction Home ポケットPC


フィラデルフィア近況 2004年春

牧原トシ

今日はフィラデルフィアで面白い経験をしたので、紹介します。僕は今夜ひょんなことからコンサートを2つハシゴでやることになってしまいました。最初はダウンタウンで行われる「サロンコンサート」シリーズに出演、そしてその後西フィラデルフィアでのノイズ系の集まりでのセットです。

僕は早めにダウンタウンに車をとめ、「サロン・コンサート」の会場となっている家に向かいました。これは、あるクラシックのピアニスト/作曲家が自分のリッチな自宅でやっている19世紀スタイルのサロンコンサート(月一回)シリーズです。コンサートの内容は10人ほどのいろいろなジャンルのミュージシャンが短い曲を演奏する・・って設定です。「音楽に国境は無い!」とかいう例の文句をたれているわけですよ。Jazz あり、クラシックあり、World Music あり、前衛あり・・という感じで、その「ごちゃ混ぜ性」が現代アメリカの Multi-Culturalism のトレンドに合っているし、だからその点で Politically Correct な企画なわけです。

でもこれウソです、はい。「音楽に国境はない」なんて言い草は結局「Starbucks Coffee やマクドナルドやマイクロソフトには国境はない」とホザいているのと同じなのですよ。このサロンの状況にしてもフィルターにかけられ、商品化され、コンテクストをもぎ取られた「さまざまな音楽」が「国境を越えたことば」として政治的意図にもとずいてきちんと陳列される・・そんな状況であるわけです。そしてそれをこのリッチな「作曲家の邸宅」で行う。彼女にとっては自宅を見せびらかし、「成功している」ミュージシャンをあつめて、ウソばっかりの文化的コミュニティーサービスとしてこのイベントを披露するわけです。どちらを向いてもウソばっかり、立派な家具や、気取った装飾などもあわせるともう反吐がでそうですよ、ホント。

どうしてこのフィラデルフィアという街にはこうやって Politically Correct な企画がやたら多いのだろう!?どうしてこの街はこんなに保守的で、つまらなく、カッコばっかりで、気取っていて、競争心だけは激しく、たてまえだけ Friendly なミュージシャンが多いのだろうか?それはダンス関係にもいえることだ!このサロンに集まるのは演奏家も客もなぜかカネを持っていて、エリートタイプな人たちばかり。クラシックの演奏家の中にはタキシードで来ているおっさんとかもいた。彼らは僕がダンスワークショップ帰りの汗臭いTシャツとジーンズとハイキングブーツといういでたちで現れたのを険悪な面持ちで見ていました。まあ「なんだ、この汚らしい貧乏学生は?」ぐらいに思ったのかもしれないですが・・

で、クラシックの曲が2曲(なんだか退屈なバイオリン曲とシューマン)の後、気の抜けたようなJazzの演奏があり、そして僕の番がやってきた。僕は汚い汗臭い服装で、タイコを一個だけ持って登場しました。トリックなし・・タイコ一個と僕自身・・それだけです。すごいプレッシャーでしたが、それでも自分でも驚くほど集中した見事な即興をやりました。自分の音楽をやるっきゃない・・という開き直りが本当に「開き」「なおる」というプロセスとしてポジティブに表現できた・・という状況であったのかもしれない。僕は疲れ果てていて、一日中なにも食べていなかったのですが、それが逆に僕をうまい具合にリラックスさせていた部分もあったようです。はっきり言って評判は良かったし、それなりにホッとしました。

僕はこの演奏が終わるとすぐに退散・・急いで片付けて、もう一つのコンサート会場に向かいました。こちらは西フィラデルフィアで自由即興のコンサートをやっているのです。アットホームな雰囲気、革新的な連中の集まる場で僕はホッといたしましたが、その反面こちらは元気に欠ける。なんだか皆打ちのめされた様な表情で演奏している。ダメですよ。これでは!もっと元気を出さないと!

フィラデルフィアにおける革新的でアンダーグラウンドな連中は、元気が無く打ちのめされた感じで、あきらめきった、なにか冷め切った感じの人が多い。これはさっきのサロンと比べるとすごい違いです。サロンに出没している人たちは、はったりでウソばっかりで政治性丸出し特有の「はったり元気」のようなものがあります。つまり政治家のスマイルのように形式ばかりのウソの親愛感です。アンダーグラウンドなシーンではそういった部分を否定してはいますが、それによって逆に非元気で冷め切っていて、なんだかあきらめた様な暗さが雰囲気を支配してしまう。

僕は今夜サロンからこちらのコンサートに移動して、フィラデルフィア音楽界におけるいわゆる「保守」→「革新」の両方のシーンを一晩で目にしました。つまり、「打ちのめしている」人たちの集まりから、「打ちのめされている」人たちの集まりへと一挙に移動したわけですよ。僕は両方の状況を目のあたりにして、両方にに別々の意味でゲンメツしてしまいました。どちらもダメなのです。どちらのグループに属していても動きがとれず、息はできず、疑り深くなってしまう。フィラデルフィアの状況はそういう意味では悪くなる一方です。これは事実だと思う。どうしたらいいのだろう?

2004年5月